小話集


少年の手から、小さな火花が散った。
少年は驚いてびくりと手を引く。すると、パシンと弾けるような音と共に、手の中の
炎は消えてしまった。
「‥‥‥」
1秒、2秒、3秒。
少年はおそるおそる、自分の両手を見つめた。そしてまた、数秒。
「わあああ―――っ!」
少年は叫び声を上げ、誰もいない空き地を駆け出した。小径を抜け、街に入り、民家
の脇をすり抜け、たどり着いた家のドアを、少年は勢い良く開け放った。
「父さん、父さあんっ!」
ダダダッと家の中に駆け上がり、少年は目的の人物を居間に発見した。
「おや、帰ったのかい、カル」
父が紅茶を置くより早く、息子はその腕にとりついた。危うく紅茶を取り落としそう
になる。
「お、おいカル」
「父さんっ!火が、火が出たっ!!」
「何!どこだ火事は!?」
「ち、違う、違うっ!できたんだ、メラの呪文っ!!」
「!―――本当か?」
少年は何度も、こくこくと必死に頷く。父は破顔した。少年が魔法の練習をどれだけ
がんばってきたか、父はよく知っている。
「一瞬ぱって火がついて、びっくりしてたらすぐに消えちゃったけど、本当だよ、本
 当に僕、火を呼べたんだよ!」
多少興奮気味に、一生懸命その時の様子を語る少年を、父は愛おしそうに見つめてい
た。父はかつて、名のある戦士だった。妻を得、街に落ち着く暮らしにも慣れ、子供
も生まれた。魔法とは無縁だった彼の息子が、こうして魔法に興味を抱くようになる
など、誰が思っただろう。
「あのお兄さんに、見て貰いたかったな‥‥‥」
ぽつんと、少年が呟く。
父も、あのラダトームでの戦を思い起こした。キメラに襲われた彼の息子を、雷の刃
で救った美しい金髪の魔法使い。彼の呪文はオーク兵の大群をも一瞬にして灼き尽く
した。その強大な魔力とは裏腹に、金の魔法使いはひどく優しい瞳をしていて。彼が、
つまりは少年が魔法を学び始めたきっかけな訳である。
セレアス、と名乗ったその魔法使いは、戦の中心へと向かった。そして、彼を追って
きた黒衣の男も。その後の消息を知る術はない。
「父さん僕、強くなる、なりたいんだ」
カルの瞳はどこまでも輝いていた。いつか大きくなって、守るべきものを手に入れた
時、少年はきっと、守れるだろう。
「よしよし、じゃあまた修行だな」
「うん!それとね、僕、父さんに剣を教えて欲しい」
「え?」
「剣も魔法も、使えるようになりたいんだ」
「お、おいおい、欲張ると結局、どっちもうまくいかないぞ。剣も魔法も、一つだけ
 だって極めるのはとても大変なんだ」
「だって‥‥‥。僕、一生懸命やるよ、どっちもいい加減にしない。あのお兄さんみ
 たいになりたいし、それに―――」
「それに?」
「‥‥‥父さんみたいにも、なりたいもん。僕、父さんの息子なんだから」
「!―――カル‥‥‥」
親子の笑いは、初夏の空気に溶けた。

「!ここにいらしたのですか、老師」
若い青年の呼び声が、礼拝堂にこだまする。その声に、祭壇に立つ老人は振り返った。
「‥‥‥クレアか」
「はい。ご無理はなさいませんように、と医師によく言われたばかりではありません
 か。もうお若くはないのですから。どうか部屋にお戻り下さいますよう。感謝の祈
 りは私が。老師に万が一の事があったら、私がセレアスに叱られてしまいます」
青年は優しく微笑むと、祭壇まで歩いて行って、老人のローブの上から、柔らかい緋
のマントを掛けた。初夏とはいえ、夜の礼拝堂はかなり涼しい。
「フン、どいつもこいつも、儂を年寄り扱いしおって」
ぶつぶつ言いながらも、老人は祭壇を降りる。
「皆老師が心配なのですよ」
青年は、老人に手を貸す。その目は、実の祖父に対する孫のように優しい。
老人の本当の孫は、この街を離れて暮らしているが、彼とクレアは、親友同士だった。
クレアが事故で身寄りを無くした時、この老師と呼ばれるメルキドの大神官が、クレ
アを教会で暮らせるよう世話したのも、そういった縁からである。
セレアスはクレアと共に神官として学び、セレアスの両親もまた、セレアス同様クレ
アの面倒をよく見た。そして老人は―――。
「クレア」
「はい?」
「もし儂が大神官を降りたら―――。」
老人はクレアを見た。青空のような、海のような神秘的な長い髪が揺れる。クレアは、
老人の孫と良く似ていた。瞳にたたえた優しさまでも。
「?‥‥‥何ですか」
「いや、何でもない」
老人は礼拝堂を出ると、夜空を仰いだ。
星は冴えざえと美しい。
月の光はいつも、老人に金の髪をした愛しい孫を思い出させる。
「元気にしていますよ、きっと」
「儂は何もいっとらん」
「はいはい」
月に見守られ、二人は夜道を歩いて行った。

暖かい陽射しと初夏の風。何とさわやかなのだろう。
芝に寝転び、オルガは夢を見ていた。戦災を恐れ、村の者のほとんどが地下に逃れた。
でもオルガは、世界樹が好きだった。一人残って、世界樹の島に渡り、この木を守ろ
うと決めた。金色の魔道士の力を得、その願いは叶った。
元気でいるだろうか―――。
「‥‥‥あなた」
目を覚ますと、そこには彼の、まだ若い妻がいた。オルガは照れた様に笑うと、彼女
と共に家路をたどった。
セレアスが、自分と同じに幸せでありますように。
そう願うオルガの頭上で、世界樹はただ、静かに風に揺れていた。

夜が明けてゆく。
だが、もっとずっと前から、男は起きていた。出発しなかったのは、ただ、明るくな
るのを待っていただけ。すっかり準備を整えた男は、もはや待つ事なく、大木の下の
野営を一人、後にした。
精悍な顔立ちが、白々と明けてゆく朝の光に輝き立つ。もう四十を越える年であるの
に、その表情たるや少年そのものだった。いつも何か、他人にはけして分からぬ何か
を追い続けているかのように。しかし、年相応の影もまた、その表情は感じさせた。
木々の生い茂る山道をかき分け、男は進む。木漏れ陽が時々、男の黒髪を照らしたが、
闇よりなお黒いその長髪は、少しも陽に透ける事がなかった。
「‥‥‥いい加減、出て来たらどうだ」
別段興味もなさそうに、男は言い、足を止めた。一瞬、驚愕の気配が伝わり、数秒後、
林の影から何とも情けない表情をした、盗賊風の男が現れた。まだ若い。黒髪の男の、
半分も生きてはいまい。
「人が悪ィな。最初っから知ってたんなら言えよ」
「さっさと野営に戻るんだな」
黒髪の男はそっけない。また一人、歩き出す。
「そっちは竜の谷だぜ、俺等盗賊仲間じゃ有名だ。昔竜が集めた宝が眠ってるっつー
 が、無事帰ってきた者はいねえ。知らねえのか?」
返事は無い。すたすたと、黒髪が遠ざかる。
「まっ‥‥‥待てよ、おい!」
慌てて男が追う。
「聞こえなかったのかよ!?死にてえのか、それとも、そんなにお宝が欲しいのか?
 一体あんた、何考えてる!何なんだ!」
なおも、答えなはい。若い男はカッとなって、走り寄ると、黒髪の男のマントの端を
掴んだ。すると男が足を止め、ゆっくりと振り返った。若者は、なおも落ち着いた黒
い瞳の前に、ビクッとする。
「‥‥‥この先が何であろうと、どうでもいい。俺はこっちへ行きたいから行く。そ
 れだけだ。これで満足か?」
えもいわれぬ不思議な迫力に、若い男の手の力はいつのまにか抜けていた。黒髪の男
はマントの裾を払うと、再び歩き去ってゆく―――。
しかし、背後の気配との距離は開かない。
振り返ると、あの盗賊がおずおずと、まだついてきていた。
「まだ何か用か」
「‥‥‥俺も連れてってくれよ」
「危険だと、言ったのはお前ではなかったか?」
「分かんねえけど、あんたについていってみたい」
若者の目は真剣だった。
「俺は他人に興味なぞ無い。誰であろうと、共に行く気もない」
「興味ねえってんなら、構わなけりゃいい。でも俺は―――」
駆け出そうとして、若者はフッと視界に影が落ちるのを感じた。ガラッと何かが崩れ
落ちる音がしたかと思うと、それは突然に広がった。
「な―――!」
はるか頭上にせり出していた岩場が突然崩れた。それは岩壁を削り、土砂を巻き込ん
で一気に二人を襲う。助からない、と若い男は悟った。視界を闇が覆い尽くす―――。
激しい衝撃と共に、青年は倒れた。
轟音、激痛、混乱―――意識が、遠のきかけた。
辺りが、静まった。
「‥‥‥?」
死んでない。痛みも、暖かさも感じる。‥‥‥暖かさ?
「―――あっ」
開いた瞳に映った黒髪。あの黒髪の男が、いつのまにか自分を土砂崩れからかばうよ
うに抱き占めていた。
「おい―――おい!」
驚いて、肩をゆする。生きている筈など無いと分かっていても。
「どうして、どうして俺なんか!‥‥‥っきしょお、答えろよおっ!」
「騒がしい奴だ」
‥‥‥神様が通った。
「―――な、な、な‥‥‥!」
平然と、男は土砂を押し退けて立ち上がった。服の汚れに不満そうにしながらも、ま
るで何事もなかったかのように。今だ土砂に埋もれて呆然としている若者には一瞥も
くれずに、男はマントを翻し、去ってゆこうとする。
「ま、待っ―――!」
立ち上がろうとした青年の右足に激痛が走った。びくとも動いてくれない。今追わな
ければ、きっと二度と追えないのに。
「‥‥‥見せろ」
ふいに声が降ってきた。男は、まだそこにいたのだ。ザッザッと土砂を払って、多少
乱暴だが、若者の右足を引きずり出した。
「痛って‥‥‥!」
「あれしきの事で、骨まで折るとはな」
ぽかんと口を開けたままの青年の右足に、土砂と一緒に流れてきた枝を添えると、肩
掛けを外してくるくると器用に巻き、固定する。
「さっさと戻らぬからこんな目に遭うのだぞ」
「あんた‥‥‥一体‥‥‥」
男は青年の驚き様などまるで目に入らぬといった様子で何事か考えていたが、やがて
青年を軽々と抱えて立ち上がった。
「ど、どーすんだよ、俺を」
「土砂で道も埋まった。ここを通りかかる者は無いな。それとも自分で歩けるか?」
「―――‥‥」
「だが俺は、お前のために行き先を変えるつもりもない」
無感動に言いながら、男は既に、青年を抱えたまま谷の方へ歩き出している。
「‥‥‥俺、テールってんだ、あんたは?」
「名はない」
「―――。ありがとな」
「フン」
二人の姿が、森の中に消える。
青年は、黒髪の男のたった一人の息子と同じ位の年だった。

「やだっつったら、やなんだよ!」
「今更何言ってるんです、ほら、そこがもう地上ですよ」
「なにい?!」

魔界口の近く、二つの影が、揉み合いながらも少しずつ地上に近付いていた。
美貌の魔性レオナートと、人狼ガルイザである。
地上での所用は大した事なく、レオナート一人でも十分だった。しかし、レオナート
は一度、ガルイザを地上に出してみたかったのだ。
何故か―――もちろん、理由がある。
ガルイザは人狼だ。彼等が地上で人狼と呼ばれる所以は、普段は人間と変わらぬ姿で
ありながら、月夜の晩、あるいは何らかのきっかけで、獣―――狼の姿に変じるから
なのである。
月夜―――それは魔界に、人間界が最も近付く時だ。
つまり。
魔界でずっと暮らしてきたガルイザが人間の姿になるのを、レオナートは見た事がな
かった。要は単なる、興味であった。
ガルイザは照れるのか、どうにも嫌がるのだが、それがかえって面白くて、無理矢理
ここまで引きずって来たのだった。
三歩進んで二歩下がるを繰り返した末、二人は眩しい陽光の中に飛び出した。
「あ、あ―――!」
途端にガルイザがは身体を震わせた。
慌てて大地に下ろしてやると、空高く吠え、少しずつその姿を変えてゆく。毛が逆立
ち、薄らぎ、耳が萎え、黒い髪で覆われ、服が裂け―――。
そして、静寂が訪れた。
「ガルイザ」
黒い髪に埋もれる白い肌の主に、レオナートは呼び掛けた。自分の上着を脱いで背中
に掛けてやろうとした時―――大きな二つの瞳が、ゆっくりとレオナートに向けられ
た。
―――‥‥えっ?
ぱさ、とレオナートの手から上着が落ちる。
「‥‥‥すまん、ずっと隠してて」
「ガ、ガ、ガ―――?!」
サラサラの黒い髪に埋もれていたのは、一糸纏わぬ、絶世の美女だったのだ。
―――女あっ?!
焦るレオナートに、ガルイザはその豊かな肢体を近付け、頬を染めている!
その胸の膨らみが目に灼き付いて、レオナートは離せない。冗談では済まされない状
況になってしまっている。
それは確かに、レオナートはガルイザの性別を確かめた事はない。無いけれど―――
目の前の、すみれのような可憐な少女は、もう想像の限界を越えている!
これが夢か何かなら、笑ってお終いだ。しかし、ああ、あろうことか―――。
「レオナート、ずっと言えなかったのは、嫌われるのが恐くて‥‥‥」
途切れ途切れの、恥じらうような花の声。
潤んだ瞳が、まっすぐレオナートに向けられた。
「俺‥‥‥いいえ、私ずっと―――」
―――神よ!!
心からのレオナートの叫びに反して、その身体は硬直したまま動かない。
ああ、そして。
柔らかそうなピンクの唇が、優しく覆い被さってきて―――。

「レオナートーーーっ!!」
野太い声がレオナートの耳を貫いた。
―――はっ!、と目を見開いた時、レオナートの瞳に映ったのは、見慣れた執務室の
天井と、怒った狼の顔だった。
「こんな所で油売ってやがって!真っ昼間から居眠りだあ?俺が―――」
まくし立てるガルイザの前で、がば、とレオナートが起き上がると、毛むくじゃらの
顔を鷲掴みにした。
「‥‥‥って!何しやがる!!」
しかしレオナートはべたべたとその顔を触り、耳を引っ張り、牙の生えた口を熱心に
覗き込んで―――。
「‥‥‥ガルイザ‥‥‥!」
「おっ、おい!」
じわ、とレオナートの瞳に涙が滲んだかと思うと、ガルイザを抱きしめ、わっと泣き
出したのだった。

その原因に、後々ガルイザは何度も首を捻ったが、真実を知る事は無かった‥‥‥。

夢を、見ていた。
長い夢だった。このまま覚めぬかと思う程の。
そこは、暗い闇の中。そして、その闇の中には一人の青年がいた。
闇に溶け込む髪と瞳。その名を、セレアスは知っていた。だのに、口から出たのは、
違う名前。―――竜王、と自分は青年に、呼びかけた。そして、さっきまでは知って
いた筈の自分の名もまた、セレアスは忘れた。代わりに、違う名を、セレアスは持っ
ていた。
視界が、歪んだ。セレアス―――否、セシリアは、泣いていた。
何故こんなに苦しい?
それは憎しみであり、悲しみであり、そしてまた、全く別のものでもあった。その全
てが絡み合い、セシリアの全身を支配する。そして、セシリアがした事は、目の前の
青年に渾身の雷撃を放つ事だった。
一瞬、全てが光に消えた。しかし、光が退いた時、そこには元通りの闇があった。そ
して、闇そのものの青年も、やはりそこに立っていたのだ。
その時のセシリアの感情―――それは絶望であると同時に、深い安堵であった。
そしてセシリアは、力尽きるまで竜王に挑んだ。
その全てを、竜王は微動だにせずその身に受けた。
セシリアに力が残っていない事を知ると、竜王はセシリアに近付き、その杖をかざし
た。セシリアは避ける力がない。いや、ひょっとしたら、それこそがセシリアの望み
だったのかも知れない。
だが、いつまでたってもその一撃が振り下ろされる事はなかった。
そして、暗転。
何故?何度も問いかける。竜王に、そして、自分に。何が正しいのか、それとも過ち
なのか、みんな、ごちゃ混ぜになってかき回される。その答は、最後の最後まで与え
られる事がなかった。
そう、失って初めて、セシリアには分かるのだ。悲しいけれど、真実だった事に。
そして、その真実の前に、憎しみは砂のように崩れた。
さようなら―――愛しい人。闇に生きながら光を見い出し、それ故に正しき刃にその
身を滅ぼした人。血で血を洗い、憎しみを糧に生き長らえる苦しみから、やっと解放
された。望み通りの終わりを迎えて、満足でしたか?
でも、セシリアは、思う。‥‥‥それでも、生きて欲しかったと。
地上は、人間は、こんなにも素敵なものだと、知らなかったでしょう?
教えてあげるから。
一緒に季節を渡り、新しい命を育み、楽しい事も、辛い事も、きっと二人で分かち合
って生きてゆくから―――。
‥‥‥そうね、きっと、もう一度巡り会えるわ。
セシリアは笑った。
もう一度、今度はただの人間として、出会いましょう。
そして、最初から始めるの。
もう、涙で何も見えない。意識が薄れる瞬間、セシリアは思った。そうしたら、今度
はきっと、幸せになれるから、と―――。

「‥‥‥セレ、セレアス!」
呼ぶ声がする。
ああ、それが、私の名前だった―――セレアスは、目を開けた。
「りゅう―――竜樹、さん?」
そしてそれが、この人の名前。
目の前に、心配そうにセレアスの顔を覗き込む黒い瞳の主がいた。
見ると、辺りはまだ暗い。焚火の木が明々と燃えているから、眠りについてから、ま
だ二時間程しか経っていないらしいと推測する。
「どうしたんですか?竜樹さん」
「どうしたって‥‥‥」
そう言って竜樹は、その長い指でセレアスの目元をすっと拭った。それで初めて、セ
レアスは気付く。涙が、その頬を濡らしていたのだ。
「うなされてた。夢でも見てたのか?」
「夢―――?」
思い出そうとした途端、全てが遠い昔の事のように記憶から抜け落ちた。セレアスは
呆然とする。それがひどく、大切な事であったような気がするのだ。
「分からな―――そんな、さっきまであんなに‥‥‥」
少し錯乱しているセレアスを、竜樹は肩を抱いてなだめた。
「大丈夫だ、落ちつけ。俺がいる」
「竜樹さん‥‥‥違う、あれはあなたじゃなかった‥‥‥」
「え?」
「思い出せない、あれは、あの人は‥‥‥」
訳の分からない不安が、セレアスの胸を埋め尽くした。夢の中の一場面と竜樹の心配
そうな顔が重なり、セレアスは思わず、竜樹をぎゅっと抱き占めた。
「セ、セレ?」
ドキリとして、竜樹が戸惑いの声を上げる。
「す、済みません―――少し、こうしていて下さい」
「―――‥‥」
それは、竜樹にしてみれば一向に構わない―――はっきり言って、むしろ願ってもな
い事なのだが、セレアスがあんまり不安そうだったから、表立ってはその下心を出さ
ず、ただ、肩を抱く腕に力を込めた。
「どうした?俺はどこにも行かないぞ」
「でも、あの時あなたは―――!」
それが、ある筈のない前世の記憶である事を、セレアスは知らなかった。でも竜樹は、
セレアスと違ってかなりの記憶を、その力と共に引き継いでいるのだ。セレアスの見
た夢が、ひょっとしたら、過去の自分達の物語であったのかも知れないと、竜樹は気
付いた。
「‥‥‥行かないさ、もう、二度とな」
竜樹もまた、遠い過去に心を飛ばした。その、全てを見通すかのような竜樹の答に、
セレアスは少し戸惑い、そして、同時にほっとした。
「どうかしてたみたいですね、私は」
セレアスは申し訳なさそうに笑って竜樹から離れた。
「まだ朝までだいぶある。今度はゆっくり眠るんだな」
「はい」
セレアスは再びマントを羽織って横になった。それを見届けると、竜樹も隣に、その
身体を横たえた。
「‥‥‥セレ」
「?何ですか」
「寒くないか?」
「え?‥‥‥ええ、少しは―――」
セレアスが言いかけると、竜樹はセレアスのマントの中にごそごそと入り込んできた。
「!竜樹さん、あ、あの‥‥‥」
「別に構わないだろう。そういう気分なんだ」
竜樹は勝手に自分の居場所を確保すると、セレアスに寄り添うように横たわった。
セレアスが対応に困っている内に、竜樹は目を閉じ、すっかり眠る体勢を整えてしま
っている。もはや追い出す訳にもいかず、それに、実際竜樹の温もりが心地よいのも
事実だったので、セレアスはため息をついて、同じように目を閉じた。
何だか夢の続きにいるようだと、セレアスは思った。悲しい夢の終わりの、その続き
に。
幸せに―――その想いだけは、微かに覚えていた。願いは、叶ったのかも知れない。
優しい眠りが、二人を包み始める。明日になればみんな忘れてしまう事を、セレアス
は知っていた。だから今は、懐かしい思い出にも似た夢の名残を、もう少しだけ、感
じていよう。
ああ、そうだ、あの人の名は―――そして私の名は―――。
そして、セレアスの微かな記憶は、眠りの精にさらわれる。だから、明日にはみんな
忘れる思いを、たった一度だけ、セレアスは心の中で呟いた。

―――また、会えましたね。
〜 了 〜


あとがき

懐かしいやら笑えるやら...の短編集です。

前に何処かに載せたような気がするんだけど、あれ何処行ったやら。
大したものではないですが、失くしたら失くしたで寂しい気がして発掘。
レオンのお笑い夢オチ話も追加してみました(^-^;)

彼等のいる世界、結構好きで。
こういう話を、よく書いてたなあと懐かしく思い出します。

また本編も書こう...って何年言ってるだろ。


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