もしも願いが



星に祈ると、願いが叶うという。

‥‥‥今時、子供でも信じないような言い伝えであるが、こんなにも星の美しい夜に
は、その位の夢を持っていてもいいような気がしてくる。

「何をしている?」
寝場所を確保していた竜樹が、夜空を見上げて立ち尽くすセレアスに聞いた。
飛竜の翼は速く、二人は既にロンダルキアの連峰を南回りに迂回し、明日にも中央大
陸を越えようとしていた。ただ、こんな目立つ生き物を連れて他の旅人と野宿する訳
にもいかず、夕方になると目立たない、人の立ち入らない場所を探して、そこで夜を
明かした。
今日も今日とて、ロンダルキアのすそ野の、普通なら降りる術も登る術もない深い谷
に入り込んで、キャンプの支度をしている。まだ雪深く、吹き込む風も厳しいのだが、
竜樹が面白そうに雪で仮住まいを作り始めたので、セレアスも大人しく従う事にした
のだった。
「竜樹さん、ほら」
「ん?‥‥‥ああ。ここは特に綺麗に見える」
谷間に覗く満天の星空。届かないと知っていても、思わず手を伸ばしたくなる。その
まま吸い込まれてしまうのではないだろうか―――そんな風に思わせた。
「‥‥‥星を見ていると、何だか不思議な気がします。どこか遠くで、誰かが同じ星
  を見ていて、離れていても同じ夜を過ごしている―――」
竜樹は、少しドキリとした。
「まだ、心が残るか?」
「え‥‥‥っ!?」
セレアスは、はっきりとうろたえた。それが、何より竜樹の言葉の正しかった事を明
らかに示す。
「そういう訳じゃ―――」
「別に隠さなくていいだろう。アレフガルドを発って、まだ一週間だ」
「‥‥‥すみません」
「どうして謝る?」
「竜樹さんには、心配ばかりかけてる気がします」
「他に何もできないんだから、心配くらいさせろ」
憮然として竜樹が言った。
家族、親友、恩師‥‥‥自らの意志で離れたとはいえ、どんなにか寂しく、そして辛
いだろう。だのに、どうしてやる事もできない自分が、竜樹は苛立たしかった。
時折ぼんやりと北の空を見つめるセレアスを見る度、竜樹は何度も言いかけた。
‥‥‥俺がいる、と。
だが、駄目なのだ。たった一人で生きてきた者に、大切なものを失った者の気持ちな
ど、結局分かりはしない。だのに、いったい何を根拠に、俺がいるから大丈夫だ、な
どと気安いなぐさめをかけてやれるのだろう。
「星‥‥‥か。似ているな。見えているのに、触れる事すらできぬ。分かるのは、あ
  んなにも綺麗だという事だけだ」
どうして得られぬものに、人は捕らわれるのか。手に入らぬものばかりが、どうして
こんなにも美しいのか。
そう、今の竜樹には、セレアスの身体を腕に抱く事はできても、その心まで包み、癒
す事ができない。その心までも、自分のものにしてしまう事が、できないのだ。
―――だから。
今はただ、願うだけ。
どうか強くなれますようにと。セレアスの全てを護ってやれるように。

「昔‥‥‥良く言いましたね、星に願えば、夢が叶うと」
「セレアス‥‥‥」

セレアスは何を願うのだろう。魔道を極め、そしていつか、あの懐かしい故郷へと帰
るその日を、セレアスは夢見ているのだろうか。
「俺の夢を知っているか」
「?いいえ」
竜樹の言葉の続きを待って、セレアスは見つめた。
聞いたらどうするのだろう―――そんな興味もあったが、今はまだ、言うべき時では
ない。
「いつか教えてやる、必ずな」
そう言って、竜樹はもう一度祈った。

今は限られた事しか出来ないなら、今出来る事からやれば良い。セレアスの為に、強
くなろう。竜樹はしっかりと星空を見据えた。
「竜樹さん?」
竜樹は、軽くセレアスを背後から抱き寄せた。
「俺は、叶えたい夢がある。それまで‥‥‥その願いが叶うまで、一緒にいてくれる
  か?」
セレアスは竜樹を見た。どことなく気恥ずかしそうな竜樹の顔が目の前にある。
「‥‥‥いつまでだって、側にいますよ」
セレアスもまた、遠い空に心を飛ばす。

二人で世界を渡り、いろんな人と出会い、いろんな事を学び、そして、竜樹に教えた
いのだ。世界はこんなにもすばらしいもので一杯なのだと。竜樹の知らない事、知ら
なければならない事は山とある。少しづつ、自分の力で歩き出そうとしている竜樹を
見守り、その喜びも悲しみも、共に歩んでゆきたいと、セレアスは願って止まぬのだ。
それがルビスとの約束であり、セレアス自身の誓いであり、そして竜樹の望みでもあ
る。

だから。
もう一度、二人は祈る。

星はただ、静かに光をたたえるだけ―――。
〜 了 〜


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